「神の信じ方」
人間の幸不幸はどんな人とめぐり逢うかによって左右されるといえるのではないでしょうか。
いい人との出会いを求めてもなかなか思い通りにはなりません。
人生を振り返ってみた時、自分が幸運のチャンスをつかんだと思った時は必ずその陰に誰かのお世話になっているものです。
また毎日幸せな気分でいられるかどうかは、自分の側にどんな人が居るかということにかかっています。
何度も何度も生まれ替わってくるうちには貸し借りができて、それを返しあうことになるのが運命というものかもしれません。
「袖ふれあうも多少の縁」といいますが、人間はそうした不思議な縁でつながっているものではないでしょうか。
自分はどうしてこの人のためにこんなにまで尽くさねばならない運命にあるのかという人は前世で大きな借りがあったのかもしれません。
反対に多勢の人々から尽くしてもらえる人は、前世で多勢の人々のために尽くしていたのではないでしょうか。
人をたすけてあげればたすけられるし、人を困らせれば困らせられる運命が訪れても不思議ではないのかもしれません。
こうした運命の法則を信じることを、神様を信じるというのではないでしょうか。
困ったときだけたすけて下さいと祈る信じ方ではあまりにも勝手な信じ方ということにはならないでしょうか。