「お詫びとつぐない」
お隣さんの窓ガラスを割ったとします。
ごめんなさいだけで済ませてくれるかもしれませんが、弁償させていただくのが当然ではないでしょうか。
交通事故で人を一人死なせたら一億円だともよくいわれています。
支払いができない人は刑務所行きです。
人に迷惑をおかけしたときは、ごめんなさいで逃げ切ろうというのは卑怯といわれても仕方がありません。
小さなことでも大きなことでもお詫びとつぐないは人間として当たり前のことではないでしょうか。
神様は人間に「悪かったと言えば棒びきにする」と教えています。
また「一度は許す、二度は見逃す、三度はもう許さん」とも教えています。
しかし、それは神様の気持ちであって、人間としてはそれに甘えることなく、お詫びとつぐないをしていくことが大切なことではないでしょうか。
本気でつぐないをしようとするなら「二分三分通ってくれたら、後の七分八分は神が足して十にして受け取る」とも言われます。
人間は知らず知らず神様の心に叶わぬことをしては運命がゆきづまっています。
人に対しても神様に対しても、常にお詫びとつぐないをしていくことが、人間の本当の在り方ではないでしょうか。
行き届かぬところはお許し頂きながらという謙虚さ